3.友達

私は子どものころから無口で会話が苦手でした。
中学生のころからは友達がほとんどいませんでした。昔のことなので記憶が曖昧ですが、暗い性格で引っ込み思案でとにかくシャイな性格だったと記憶しています。 同級生数人の前で話すのにも顔が真っ赤になってまともに話せなかった記憶もあります。 某バンドの曲の歌詞に「俺の言葉に赤面する線の細い俺」という一句がありましたが、まさしくそのような自分でした。そんなこともあって引っ込み思案の性格に拍車がかかり、自分の殻に籠りがちになりました。休み時間などは話す相手もおりませんので、静かにぼうっとしていることが多かったと記憶しています。
同級生からは 「瞑想してる」と揶揄されたこともありました。
その頃は何を考えていたか記憶がおぼろげですが、自分の生きている世界は「仮の世界」であり、本当の自分はもっとクールだと妄想していました。
しかし多感な思春期は一度きりです。
多感な思春期を妄想に浸って無駄に過ごしてきたのは私のこれまでの人生で一番後悔したことです。
 
友達ができなかった理由はコミュ力が極端に低かった一点に尽きます。
極端に無口で会話が苦手でした。
子どもの頃に会話が楽しかった記憶はほとんどありません。
人生における会話量が極端に少ないと自負しております。
 
私にとって「友達」という言葉は胸に痛い言葉です。
学生の頃の友達は一生の友達と良く言われますように、時間の有り余ったその時代に友達と青春を共有できなかったのは、自分の人生の大きな損失と言えます。
しかし、終わったことは仕方がないことです。
 
古代ローマの哲学者キケロの言葉に「世界で最も強い満足感をもたらす経験とは、地球上のあらゆる題材について、自分自身に向かって語るのと同じくらい自由に話せる相手をもつことである」という名言があります。
この言葉ほど共感させられた言葉はありません。
 

このような相手がいれば人生は楽しくなると強く思います。

友達が欲しいです。