17.自意識過剰

自分のことを話すのがすごく苦手です。
自分のことを話すと赤面してしまいます。

赤面する原因を深堀してみたいと思います。
まず自分のことを話すことがなぜ苦手なのかを考えてみたいと思います。
自分の趣味や好きなことを話すと恥ずかしく思います。
好きなことや趣味が一般的なものであればそれほど恥ずかしくありません。
しかし、好きなことや趣味が一般的でないもの(マニアック・マイナー)であれば、それを話すと恥ずかしく思い、話さずに済ますことがあります。
それは「あいつ、あんなことが好きなんだ」と好奇や蔑みの目で見られると思ってしまうからです。
そして共感を得られない可能性が高いので話しても浮いてしまうだけだという諦めがあります。
浮いてしまうといじられる(≒いじめられる)シーンは同調圧力の強かった学校時代でしばしば見てきました。
その浮いてしまうとシチュエーションの当事者になりたくない不安がありました。
だから自分の本当に好きなことを話すと浮いてしまう不安感があり自分のことを話せない学校時代を過ごしました(すごく無口でした)。
私の学校時代に好きだったこと・興味があることは同級生たちとのそれとはギャップがありました。
(話したことがないだけで実はあまりギャップはなかった可能性もあります)
周りの同級生たちが好きなこと(その大半は流行りのテレビ番組)の話題についていけずに孤独感を味わいました。
(余談ですが、同級生たちもそのテレビ番組を本当に好きだったのかは不明です。孤立したくないから流行りを追いかけていただけかもしれません)

自分のことを話す場数を踏めていかなかったので、自分のことを話すことに慣れることが出来ずに未だに恥ずかしさを感じてしまいます。
学生時代の飲み会などで場数を踏むことは現在の日本社会を生き抜く上で必要なことだと思わさせられました。

こうして書くとすごくつまらないことを気にしていたのだと思わされます。
しかし浮いてしまう不安感が常に付きまとい、自分のことをうまく話せずその上手く話せない様を恥ずかしく感じるという負の連鎖に陥っており、その不安感が体に染みついており赤面するという生理現象を生み出しているのだと考えます。

ただの自意識過剰なんでしょう。
自分のことを堂々と話せば良いだけのことです。
堂々と話せばマニアックなことやマイナーなことでも他人に響かせることができるのではないかと考えます。
引かれる可能性もありますが、引かれることを恐れず堂々と話すことが大切です。
今はそういったマニアックなことやマイナーなことを堂々と話すことに対しての価値を認める風潮があると思います。
これは良い風潮だと思います。

恥ずかしそうに話すから余計恥ずかしく感じるのだと思います。
私はコミュ力は低いですが、空気を読む力はそこそこあると自負しております。
しかし、この空気を読む力が恥ずかしさを助長しているのだとも考えます。
恥ずかしい感情は「浮いてしまう不安感」や「共感されない不安感」から来ていると考えるからです。
「空気を読まない」→「細かいことには動じない」→「強くなる」ことが求められます。 流行りの言葉で言うと鈍感力というのでしょうか。

相変わらず下手な文章ですが、書くことである程度すっきりできました。