18.コミュ力格差

コミュ力が低いと集団で疎外感を味わいます。
周りが楽しく談笑している中で一人だけ話に参加できず、ポツンと浮いてしまう状態は辛いです。
私を含むそういった人は集団の中に何人かはいると思います。
そういったコミュ力が低い人達同士で仲良くすれば、疎外感を解消できるのにと思われるかもしれません。
しかしコミュ力の低い人はそもそもコミュニケーションが下手なので仲良くなるきっかけが掴めません。
私の場合、変なプライドが働いて私はコミュ力の低い人達と一緒にされたくないと思い、仲良くしようという意識は働きにくくなっております。
(相手側からも同様に自分のことを「コミュ力の低い一緒にされたくないやつ」と思われているのでしょう。被害妄想が強すぎると思いますが…)

だからコミュ力が低いと孤立して、コミュ力を向上させる機会を得られず、コミュ力のある人たちとの間に更なるコミュ力格差が生まれます。
そうなるとコミュ力の高い人達と話すのに劣等感を感じて自信をもって話すことができません。
この状態になると脱するのは難しいです。
実際に私は十代~二十代はこの状態になっており悩んでいました。

しかし、今でもコミュ力は依然として低いものの、この状態はなんとか脱却できたと思っています。
どのようにして脱却したかを振り返ってみたいと思います。

振り返るとコミュ力以外のことで自信をつけることで、少しずつコミュ力を向上(自信をもって話す)することができたのかなと考えます。
自分の自信のある事なら比較的スムーズに自信をもって話すことができます。
自分の場合、それは仕事でした。
仕事での会話は話す目的が明確であるので相手も聞く耳を持ってくれるので話すことはできます。

コミュ力はある日突然劇的に向上できるものではないです。
私の場合、仕事の会話が苦にならないようになるまでは、それなりの年月を要しました。 自分の自信のあることを話して小さな成功体験を繰り返して少しずつコミュ力を上げていくしかないと思います。
少しくらいのコミュ力向上ではコミュ力の格差は埋まらないですが、ある程度コミュ力がつけばコミュ力格差は気にならなくなると思います。
コミュ力の高い人達はコミュ力格差なんて気にしてないでしょうし、(全員ではないと思いますが)コミュ力が低い人達を見下したりはしていないと思いたいです。

私は以前よりはコミュ力が上がりましたが、前述したとおり依然コミュ力は低いです。
ですので、劣等感を持っています。
このブログを立ち上げた理由もコミュ力の劣等感からであります。 にもかかわらず自分よりコミュ力の低い人を心の中で見下して安心してしまうことがあります。

ここまで書いてあることに気づきました。
それは、この「見下す」という歪んだ感情をなくさない限り、コミュ力格差の劣等感からは逃げられないことです。
そもそもコミュ力なんて測れないもので格差を感じることが過ちだとも思いました。

私はPodcastYoutubeで話を聞くのが好きです(Youtubeも映像より話す内容を重視します)
自分の好きな話し手の特徴を考えてみたところ次の通りです。

1.声が落ち着いていて聞いて心地よい
2.相手に不快感を与えない話し方 3.わかりやすく伝える

声質を変えることはできないですが、「相手に不快感を与えずにわかりやすく伝える」ことができるように日々精進していきたいです。