5.他人の不幸

コミュ力とあまり関連のないことを書きます。

熊本で大きな地震がありました。余震が絶え間なく続いており恐ろしいことです。

わざわざ書くことではないですが、私は東京に住んでいるので、被害は一切ありません。

連日のニュースで悲惨な状況は伝えられていますが、九州には親類も友人もいませんから、正直言うと他人事です。

 

世界に目を向けると悲惨な出来事は溢れています。

私は自分に関連のない人たちの不幸まで憂う必要はないと考えております。

もちろん同じ日本での災害ですので、関心は持つべきと思いますし、礼儀として不謹慎な言動は避けるべきとは思います。

 

「他人の不幸は蜜の味」という言葉ありますように、私は他人の不幸は興味をそそられます。

昨今多い芸能人のスキャンダルにも興味をそそられます。

自分より不幸な人がいることで安心感が得られるのかもしれません。

ただ少し想像力を働かせて自分の身に置き換えてみますと、他人の身に同情を禁じ得ません。

例えば、私には子どもがいるのですが、虐待による子供の殺害や子供が事故で死亡するニュースを目にすると心が痛みます。

それは自然に自分の身に置き換えられることだからでしょう。

自分の身に置き換えられないことでも、想像力を働かせることで他人の不幸を実感して憂うことが出来る思います

しかし、それは「余計なお世話」なのかもしれません。 

不幸を受けた当事者からすると見知らぬ他人からの歪んだ好奇心からの同情は嫌気がさすものだと思います。  

とはいえ全く無関心でいることも同じ社会に生きる人間としては冷淡なことかもしれません。

関心を持ち同情することは自分が安心したいだけなのかもしれません。

「かもしれません」と連呼しました通り、明確な答えはないと思います。

 

私の考えは見知らぬ他人よりも身近な人を大切にすることを優先にしたいということです。

 

不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら大変申し訳なく思います。